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秦腔

秦腔(しんこう)は、陝西省、甘粛省、青海省、寧夏回族自治区、新疆ウイグル族自治区などの西北地区で行われている最大最古の伝統劇です。秦腔の発生と発展は京劇、晋劇、河北 子、豫劇、川劇などの劇曲に深い影響を与えたので「百種の劇曲の祖」という名前もあります。

秦腔は古代の陝西、甘粛の一帯の民間楽舞と次第に融合して形成したといわれ、周代以降、関中地区が「秦」と称されたため「秦腔」と呼ばれます。また、ナツメの木で作った子を使うため、「子腔」という呼び方もあります。秦腔は「秦代で形成され、漢代で精進され、隋代で盛んになり、唐代で整備され、明代で広がり、清代で流行り、幾たびの進展変化を経て、盛観を呈している。」と言われます。唐玄宗(李隆基)が「梨園」を設立し、秦腔芸人の子弟を育成し、宮廷の曲も民間の曲も歌たわせたと伝えられています。陝西省の民間芸人の李亀年は「梨園」の演奏者を務め、彼の作った『秦王破陣楽』は「秦王腔」と称し、略称は「秦腔」です。明の嘉靖年間に、甘粛、陝西省の一帯の秦腔は次第に子劇になりました。清朝繁栄時期にあたる乾隆年間には、秦腔の名優――魏長生が都を訪れ、巧みで完璧な演技で都を風靡しました。

秦腔は特徴として、節回しに「板式」と「彩腔」の二部分が含まれ、各部分に「歓音」と「苦音」があります。「歓音」は喜びや嬉しさ、「苦音」は悲憤や悲しさを表します。板式には慢板、二六、代板、起板、尖板、滾板及び花腔があり、「彩腔」は俗称が二音で、音の高さが8度で、慢板式、二倒板式、代板式と垫板式の四つに分かれます。秦腔は各地の方言や音楽の影響で、様々な流派を生み出されました。関中東部渭南地区の大や蒲城近辺では東府秦腔(同州子)が盛んです。関中西部宝鶏地区の鳳翔・岐山・隴県や甘粛省天水一帯では西府秦腔が流行し、漢中地区の洋県・城固・漢中・県一帯では南府秦腔が流行しました。西安及びその近辺では西安秦腔が流行しました。

1912年に設立された易俗社は秦腔の教育・公演をおこなう芸術団体で、易俗社劇場で公演を行ってきました。2009年に西安曲江秦腔剧院有限责任公司が曲江文化产业投资集团の出資で設立され、劇場の改修工事が進められていましたが、2010年末に完成し、2011年より公演が行われています。